2012隠岐の島ウルトラマラソン完走記 ~なまけものデビュー戦の思ひ出~

真夏のランナー、ネタなし

みなさんこんにちは。
なかなか涼しくならない今日この頃です。
マラソンの練習ははかどっていらっしゃるでしょうか?

私はなかなか順調で、8月は大会に一度も出ていませんが月間走行距離が300キロを超えました。
たくさん走ればいいというわけではないですが、レベルアップするにはそれなりの負荷が必要でしょうし、負荷の中には速いペースで長い距離を走るということも含まれますのでまずまずいい感じではないかと思っております。

さて、最近ブログに書くネタが不足しております。
もともとマメではない性格に、雑談を面白おかしく表現できない人間なので特に真夏は困ります。

と、いうわけでここはひとつ…
懐かしい私のマラソンデビューを書いてみたいと思います。
これからウルトラマラソンに参加してみたいなーと思っている方に大変参考になるかもしれません(?)

思ひでの2012年…

あれは2012年の1月のことでした…
いや2月かもしれません、よく覚えていません…

とりあえず、私は島根県の隠岐の島のことを調べていました。
何故かというと旅行に行きたかったのです(そのまんま)。
いつか離島で暮らしたいと思っていた私はとりあえず離島巡りを始めようとしていました。

手始めにターゲットにしたのが島根県の隠岐の島。
岡山からそれなりに近いし、たしか昔後醍醐天皇が流されたところだよなーとかちょっとだけ知ってたからです。

で、ネットで検索したところ…
何故か「隠岐の島ウルトラマラソン」の文字が。
マラソンとは全く入力してませんでしたが、まあちょうどエントリーの時期で「隠岐の島ウルトラマラソン」の検索数が多かったのかもしれません。

まず「はあ???」
と思うわけです。
ウルトラマラソンってなに?

ウルトラマラソンのことなど全く知りません。
フルマラソンなら知ってるけど。

そして何故か調べたずっきー。
おお!なんと42.195km以上のマラソンのことか!
そんなもんがあるんだな?
ふーんと思っていたところ。

エントリー、という文字が…
私、プロの人か学生以外の人(いわゆる市民ランナー)がマラソンをするということを知りませんでした。
世間的には2007年の東京マラソンがランニングブームを巻き起こして5年後のこのころには空前の人気になりかけていたころでした。

しかし世間がブームだろうと、私はそんなことに興味はありません。
それで一般庶民がマラソンに出れると知ってビックリしました。
そして、世間の庶民が完走できるなら私でも余裕だろうと思い、調べてみます。

ウルトラマラソン100キロの世界記録は男子も女子も日本人であること。
隠岐の島ウルトラマラソンは100キロの完走率が70%くらい、50キロの完走率は85%くらいだったのを知りました。
うーむ、100キロはともかく50キロの制限時間は8時間。
時速6.3kmで完走できます。
はっきり言って早歩きじゃん!

これは余裕だろうと。
プロではなく一般人が参加しての完走率85%です。
しかも70代の方とかも含んでです。
100人中自分の才能が84番目や85番目でも完走できる可能性があるのです!

それにマラソンなら自分の足でどんな島かも確認できます。
最高の旅行になりそうです。

というわけで早速ランネットからエントリーしました。
今では信じられませんがこのころはまだ何日もエントリーを受付していたんですね。
今なら数時間で定員ですが。
6月17日、楽しみです。

いざゆかん、隠岐の島

とりあえず準備をしなければいけません。
6月に入り…
スポーツデポに行きランニングシューズを買います。
なんていうシューズかも忘れました、値段は4000円くらいです。

ウェアは寝巻にしてたTシャツ。
ランニングソックスは買った気がしますが、以上終了。
安く揃えましたね。準備は万全です!

そして前日には島根県七類港へ。
フェリーで出発します。
最初は船旅に大はしゃぎでした。
が、が…とにかく
喫煙所に行ってずっと煙草を吸ってました。

その頃の私はスモーカー。
一日6、7本の煙草を吸っていました。
マラソンと煙草は相性悪そうですが、当時は何も考えていませんでした。

やっとのことで到着。
そしてレインボーアリーナで到着。
受付を済ます。
そのまま送迎バスで布施地区の「ホテルサンライズ布施」へ向かいます。

その頃には大分疲れてしまっていました。
しかもこの後前夜祭というのがあるらしい。
非常に面倒くさい。
今なら喜んで行きますが、あのころはいろんな未知のものが結構面倒くさかったのです(笑)
もう前夜祭はキャンセル。
部屋でゴロゴロします。

と、相部屋のランナーさん2名が前夜祭を終えて帰ってきました。
同じ岡山県のランナーさんです。JTBさんが同県の人で揃えてくれたのかも。
3年後に同じホテルに泊まったときは6人いましたが、この頃はまだ参加者も少なかった!

色々話を聞きました。
そう言えば、今は相部屋全然平気ですが当時はとても緊張しましたね。
「ウルトラ走ったことあるの?」
「ありません」
「フルは?」
「ありません」
「ハーフとかは?」
「ありません」
「どんな練習してるの?」
「えっ!マラソン大会に出るのに練習するんですか?」
「………」

別に舐めてるわけではありません(いや、舐めてるか)。
本気で知らなかったのです。
完走率が85%なら100人中85人は完走できる。
それは自分にとって楽勝以外の何物でもなく、なんの心配もしていませんでした。
そもそも、マラソンの練習って何をしたらいいのか分からなかったし、考えたことも調べようとしたこともありません。

しかし、この会話から50キロを走り切ることはそれなりに大変らしいと気付きます。
そうするとやっぱり不安になりますよね。

でも完走できなくても、初めての大会だからまあ出来なくても仕方ないじゃん。
という開き直りの気持ちになりぐっすり寝ることに。
前日にまずいと気づいても本当にもうどうしようもないしね。

翌日…
50キロの部は朝ゆっくりなのでダラダラ準備をします。
そしてホテルのバスで50キロの部スタートの水若酢神社へ向かいます。

スタート地点に着いたら何をしたらいいんだろう?
本気で何も分かりません!
やっぱり友達0の人生って不利だなあ…とか考えながら寝ていました。

園児たちへの決意

水若酢神社に到着します。
さて、何をしたらいいのか分からない…

とりあえず、荷物を持ったままは走れないので、どこかに預けねば…
皆さんのあとを何気ない顔で付いて行く。
本当はオロオロでしたが…

そうしたらみんなナンバーシールの貼られた袋に荷物を入れてトラックに預けている。
ほう、昨日貰った袋はこんな意味があったんだ!
凄いな、マラソンシステム。

で、荷物を預けます。
そうしたら、手ぶらの初心者ランナーの出来上がり!

今でも
「ウルトラマラソンって何持って走ったら良いですか?」
とか聞かれますが、何もわからない人間は物を持って走るという発想もないので何の疑問も持たず手ぶらです。

ランニングシューズとランニングソックスを除けば…
パンツも単なるパンツ。
ウェアも寝間着にしてた黒シャツ。
キャップなし。
はい、終了!
といった感じですね。

しかしスタートまで時間が長い。
ブラブラ神社を放浪します。
と、握手を求められているあんちゃんランナーが…

結構有名な人なのかな~?
とか思いましたが、こちらはマラソンランナーなんて当時の100キロ世界記録保持者の砂田貴裕さんと瀬古監督と宗兄弟、野口みずきさんと高橋尚子さん、有森裕子さんくらいしか知りません。まあ良く知ってる方か?

後で知ったら川内優輝さんだったんですがね。
翌年からはゲストランナーでマスコミを引き連れて登場してましたが、この年は一般枠で自分でエントリーしたそうです。

前年はゴール数百メートル前で熱中症で倒れてリタイアだったそうで、まともに走ればぶっちぎりの優勝だとのこと。
しかし、こちらは何時間で走れれば凄いのかよく分からないのでイマイチしっくりきませんでした。

マラソンの世界にも色々あるんだなーと思いつつ…
やっぱりいきなり完走するのは無理なのではないか?
と不安になります。
あーあ、どうなるのかな~

と、そこでスタート前に幼稚園児の踊りが始まる。
ランナーを励ますために一生懸命覚えたのだと!

「がんばってください!」
園児たちの声を受け、何とか完走せねば…と思う。

一応幼稚園の先生っぽい人に聞いて見る。
「みんな上手ですね、結構練習頑張ったんですかね?」
「そうだよ~、あんたたちに見せるために頑張ったんよ。あんたもゴールしてよ!」
「はぁ」

うーん、完走できなくても仕方ないかなという気持ちはこの時点で消えました。
絶対に完走せねば!
しかしスタートまで15分…
もはやできることはない…
できるだけ周りを見て、無駄なことはしないようにしようとだけ決意します。

そしていよいよスタートが迫る。
入口の鳥居に集まるランナーたち。
怖いので最後尾から(今では信じられませんが)。

ウルトラランナーへの第1歩

いよいよ隠岐の島ウルトラマラソン50キロの部がスタートです。
前の方で川内さんが飛び出していく。
は、はやっ!!!

私は先頭から1分遅れでスタート。
さあどうだ、付いて行けるか?
意外や意外、周りは思ったほど速くない。
自分より後にもたくさん人がいる。

俺って結構速いんじゃね!
と、思いつつ…そんな上手い話は無いかと思いなおす。
それにしても本当に走れる。
だんだん息が楽になってきたぞ!
しかし水泳もそうですが(元水泳部)大幅なペースの変化は碌なことにならないので一定のペースで進みます。

5キロほどでホテルで同室になった方に。
「腕は縦に振って。あんたは横に振ってるよ」
といわれますが、いきなり直せるものでもないしね…

腕を横に振りつつ9キロ通過、ここまでは楽勝!
10キロ手前で上り坂です。
ここはすぐ苦しくなって歩きだす。
周りもみんな歩いてるし、まあいいか。
というか、マラソンの最中に歩く人がいると言うのがこのときは驚きました。
エイドでも座り込んで食べるし。
走り続けるもんじゃないのね。

10キロ通過はなんと68分。
私は時計を持っていないので周りの人に教えてもらいました。
結構頑張ってるでしょ。

しかしここからがしんどい。
上りが続きます。
走れないので歩き、エイドが来たら食べて飲む。

上りきったら下りますが。
下りがスピード出るので爽やかに駆け抜けて行きました。
今なら絶対しない過ちです。

下り切ってエイドに寄り、また上り。
ここも歩きます。
そしてまた下り。面倒だなあ…
この下りもダダダッと駆け抜けます。

20キロ通過!
やるな、初マラソンとは思えない展開!

22キロでトマトを食べて充電。
また上りなので歩きます。
そして下りですが…
ちょっと様子がおかしいな?

なんか脚が動かなくなってきました。
しかし重力の力を借りて下り切る。
25キロのエイドですが、皆さんぜんざいを食べています。

しかし残り時間が気になる私。
今のペースで行けばゴールできますが、なんだか走れなくなりそうです。
早いうちに距離を稼いでおきたい。
ぜんざいを勧められるが振り切って走り出す。

その後…
すぐに走れなくなりました。
歩き続けますがどんどん力が抜けてくる。
なんだこれは?

ここは忘れられません。
27キロ地点、脚が止まりました…
ペースが落ちたとか、走れなくなって歩きだしたとかそういうことではありません。
本当に動かなくなって立ち止まったのです。
このときの私は
「5m走れ」
と言われてもそれすらできなかったでしょう。

それでも歩きだそうとしますが…
数メートル歩いては立ち止まり、数メートル歩いては立ち止まる、を繰り返します。

時間はまだあるが、このままではゴール出来ない!
どうすんべ?

ここに来て自分が甘かったことにあらためて気づくずっきー
一体どうなってしまうのか?

歩みを止めぬなまけものランナー

脚が動かなくても進むしかない。
そう考えられたのは自分の才能です。

ヨタヨタ進むとそこにバイクのあんちゃんがやってきた。
「大丈夫ですか~」
「疲れました!脚が動きません!」
「コールドスプレー使う?」

1秒たりとも止まりたくなかったのですが、まあ使ってみましょうか。
シュー…
………

むむむ…
何がむむむじゃ!
何がって脚が動きそうですよ!

おお、歩ける!
あんちゃん、ありがとう!

しばらくすると短い距離でしたが走ることもできました。
これはいけるぜ~。

歩いたり走ったりしながら進む。
進んで進んで、さあどのくらい進んだのか?

ってやっと30キロが見えた。
1キロ1キロが遠いです。
まあ、1キロ毎に表示があるので全然進んでないことは本当は分かっていましたけど(涙)

30キロは3時間54分です。
素人の私でも速くないのは分かっていましたが…

なんか希望が出てきますよね!

完走しないよりする方がいい

30キロを3時間54分。
4時間6分で残り20キロを進めば良いのです。
時速5キロでいける。

この時点で完走は確信します。
何故なら、私は性格的にリタイアをしないタイプだから。
脚が動く限り進み続けるでしょう。
もうひとつ、脚の疲労以外に身体の異常は無い。
暑いけれど、熱中症の症状も無いし、頭も腹も痛くないのです。

ある程度安定して進める自信がある。
大丈夫。

そう思ったら身体は辛いですが、少し楽しくなりました。
「フルマラソンを完走するのはとても難しい。」
世の中の常識はそうです。
しかし、現実はどうか?

今、適当にウルトラマラソンにエントリーして出てきた人間が、20キロを残して完走を確信している。
3キロ前には絶望的だった人間が、です。

マラソン、面白いです!
何が起こるか分からない!

遅いですし、歩きが大半ですが脚を止めずに進みます。
エイドステーションでは
「少し休憩して行ったら?」
といわれましたが、1秒でも早くゴールしたい。
99%完走できるけれど、ここで休憩したことによって完走できなかったら取り返しがつきません。
100%になったら、ゆっくり行きましょう。

35キロ、40キロと進んでいきます。
沿道の皆さんの応援が嬉しい。
マラソンってこんなに応援者とコミュニケーションがとれるものなんだと驚きです(ウルトラマラソン特有のものだとは思いますが)。

隠岐空港へ向かう緩やかな坂道を歩き続け、
そしてついに…
42.195キロを越えました!

やりました!
あと8キロ弱、何とかなります。

なまけものウルトラランナー、誕生!

とうとう私もウルトラランナーになりました。
ランニングを始めて5時間半後にウルトラランナーになるというのは、世のウルトラランナーの中でもかなり早い方です。

一歩一歩、確実に進みます。
もはやちょっとでも上り基調だと全く走れなくなっていましたが、残りの距離はどんどん減っていきます。

ラスト4キロからは私設エイドが増えてきました。
止まりませんが、全部寄ります。

残り2キロ、大きな赤い橋を渡り、本郷の街へ向かっていきます。
おお…
おおお~!
沿道の応援、めっちゃ多い!
島のじっちゃん、ばっちゃん達とハイタッチしながら走っていきます。

応援は途切れません。
残り1キロを切り、トンネルを抜けて、昨日受付をしたレインボーアリーナへ。

最後は上り坂でしたがここはしっかり走ります。
我がランニング人生のラストくらいは、疲れていてもきちんと走りましょう!

「さあ岡山県のずっきーさんが帰ってきました!おかえりなさーい!」
とアナウンスが聞こえます。
よかったよかった!

さてさて、張り切ってゴール!

タイムは…
6時間45分48秒でした~
男子282人中151位。
まあまあでしょう!

とても楽しい50キロでした。

その後ホテルに帰ると…
フロントの女性に
「あら、意外に速かったねえ。あんまり速そうに見えんかったけど」
なんて失礼な話であろうか!
どこからどう見ても速そうでしょうが…

最初に出た大会が隠岐の島ウルトラマラソンだったため色々勘違いしました
①マラソンのスタートは誰も先頭に行こうとしない
②マラソンのエイドではいきなり立ち止まったり座り込んで物を食べる
③マラソンのエイドではスタッフとコミュニケーションを楽しむものである
④マラソンとは疲れたらすぐ歩くものである
⑤マラソン中は応援の人ともコミュニケーションをとるものである
⑥マラソンのゴールでは一人一人名前を呼ばれる
⑦ウルトラマラソンでランニングデビューする人は結構多い

などなど…

マラソンを始めたのが隠岐の島ウルトラマラソンのスタート。
ウルトラランナーになったのがマラソンを始めてから5時間半後。
マラソンを引退したのがマラソン開始から6時間45分後。

様々な伝説を残して
ずっきーはマラソン界からひっそりと姿を消したのでした…

いや、本当にこのときはやめるつもりだったんですよ!
そもそも辛いし!
その後ずっきーがランニングを続けることになった理由とは…?

(つづく)
かもしれない